院長の詳細プロフィール

院長 竹谷内 康修 Takeyachi Yasunobu

整形外科医・カイロプラクター

詳細プロフィール

カイロプラクティックを家業とする一家に生まれる(後述)。世田谷区上祖師谷で幼少期を過ごし、その後、調布市で育つ。私立駒場東邦高校卒業(34回生)。

2000年3月東京慈恵会医科大学卒業。

2000年4月に腰痛治療で先進的医療を行っている福島県立医科大学整形外科学講座へ入局。

腰痛治療の第一人者である菊地臣一先生(国際腰椎学会元会長、福島県立医科大元学長)に師事。

福島県立医大附属病院、総合保原中央病院(現、北福島医療センター)、福島第一原発のすぐ近くにあった福島県立大野病院(現在は閉鎖)等で整形外科の診療に3年間携わる。

2003年カイロプラクティックの発祥地アメリカ合衆国へ。世界のカイロプラクティック教育を長年リードしてきたナショナル健康科学大学(イリノイ州シカゴ近郊)で3年間学ぶ。

2006年8月に日本人で初めて同大を首席で卒業しDoctor of Chiropracticの称号を取得(後述する院長の父も同大を1968年に卒業)。

2007年3月、東京都中央区八重洲に竹谷内脊椎クリニック付属竹谷内カイロプラクティックセンターを開設。2012年2月に診療所名を竹谷内医院に変更し現在に至る。

当院での診療に加え、2006年11月から2010年3月まで、福島県立医大の関連病院である星総合病院(福島県郡山市)にて整形外科の外来診療を非常勤で行なった。

2011年4月から別の診療所において整形外科の一般外来を非常勤で担当。

これまで著作活動を積極的に行い腰痛、腰部脊柱管狭窄症、首の痛み、肩こり、頚椎症、変形性膝関節症に関する著書を十数冊出版している。

著書の「その腰痛、ほうっておくと脊柱管狭窄症になりますよ。」は、点字訳されて眼の不自由な方に活用されているほか、「首の痛みは自分で治せる」は中国語に翻訳され、台湾で販売されている。また、テレビや、読売新聞をはじめ各種雑誌、日経Goodayなど多数のメディアで健康関連のトピックを分かりやすく解説している。

趣味・スポーツ歴・嗜好

趣味は自然を楽しむ旅行。米国留学中に10か所以上の国立・国定公園に行った。ヨセミテ(ページ下部に写真あり)、グランドキャニオン、イエローストーン、ロッキーマウンテンなど。子供の頃から自動車好き。スポーツは、中学、高校、大学時代に水泳部に所属。専門はブレストストローク。お酒はたまに飲む程度で、根っからの甘党。現在は仕事と小さい2人の男の子供たち(平成23年と26年生まれ)の相手で自分に割く時間が無いのが悩み。

院長のプライベート風景

受診時に緊張してしまう患者さんがいらっしゃいます。院長の日常の姿を見て、緊張を和らげる助けになればと思います。

留学中に行ったヨセミテ国立公園。大自然の風景に圧倒されました。

車好きです。米国の知人に乗せてもらった1960年代のマスタング。

根っからの甘党。食べすぎないように我慢するのが大変です。

小さな息子たちの子育てに四苦八苦しながらも楽しんでいます。

院長一族の歴史

竹谷内 米雄 / 1907~1975

院長はカイロプラクティック一家の3世代目にあたる。祖父の米雄(よねお、故人)は日本のカイロプラクティック界のパイオニアで、昭和24年に港区北青山にカイロプラクティックの治療院を開設し、多数の弟子を育てた。また業界団体である日本カイロプラクティック総連盟の会長を務め、カイロの普及に尽力した。

竹谷内 一愿 / 1943~2012

父、一愿(かずよし、故人)は祖父米雄の跡を継ぎ、カイロプラクティックの発祥地であり、先進国である米国へ1964年に渡った。そしてイリノイ州シカゴ近郊のナショナルカイロプラクティック大学(現、ナショナル健康科学大学)へ留学。第二次大戦後に日本人で最初にカイロプラクティック大学を卒業したカイロプラクターとなった。さらに父一愿は祖父米雄の後継者として日本カイロプラクティック総連盟の会長を19年間務め、日本のカイロの発展に大きく貢献した。1995年に開設された日本で初めてカイロプラクティックの大学教育を行う豪州公立RMIT大学日本校カイロプラクティック科(現、東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック)の設立に尽力し、晩年には東京カレッジ・オブ・カイロプラクティックの副学長を務めた。父一愿の功績が世界で認められ、世界カイロプラクティック連合から1995年に栄誉賞を授与された。祖父、父のほかに兄、伯父、従弟もカイロプラクター。